第3回 神保町夜学

神保町夜学
日時2024/9/4 19:00~21:00
ゲスト奥野 武範 氏(ほぼ日刊イトイ新聞 編集者)
場所共立女子大学本館12階 1206教室

※発言者敬称略

▼冒頭挨拶【共立女子大学 草薙】

  • 神保町夜学は、東京文化資源会議が2023年に立ち上げた「神保町の夜からはじめるプロジェクト」の一環として、神保町に関わる方々が立場を超えて横断的に出会い、神保町の夜を元気にする方策について自由に懇談する場として月1回開催。
  • 本日は、ウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」を運営している株式会社ほぼ日より編集者の奥野武範さんをお招きした。

▼ゲストスピーチ【奥野】

  • ほぼ日は20年以上港区の青山周辺に本社を構えていたが、2020年に神田神保町へ移転。7階建のビルを借りている。
    ホームページからブログ、そしてSNSの時代になった今でも、26年間、一日も欠かさずホームページを更新中。糸井さんから深夜に送られてくるエッセイを翌朝11時に掲載している(土日祝日は午前9時)。9月1日には一番の看板商品である「ほぼ日手帳2025」の販売を開始した。基本的に広告は入れず、商品と読み物の2つを両輪とし、商品で得た利益を読み物コンテンツの制作や人件費に充てている。
  • 新卒で宝島社に入社。雑誌『宝島』に連載されていたVOW(バウ)という、街のヘンなものやおかしな新聞投稿、誤植などを読者が写真に撮って投稿するコーナーが好きだった。VOWの編集部に入りたくて入社したが、入社後にVOW編集部は全て外部の編プロに委託していることを知る。結果としては男性ファッション誌『smart』へ配属になった。5年程経ちファッション以外のこともやりたいと思い始めた頃にほぼ日が社員を募集していて、20数人目の社員として入社。現在、勤続19年程。
  • 入社した頃は会社というよりも「糸井さんのところがおもしろそうだったので集まってきた人たち」みたいな感じだったため、新人に何をさせるかなどのカリキュラムもなかった。最初はオリジナルTシャツなどの商品をメインに担当していたが、徐々に会社の体裁が整い「編集部」もできていった。現在では、糸井さんとどなたかの対談コンテンツの他に、わたしたち編集部員がインタビューした記事なども載せている。ときおり「特集」というかたちで、一連のまとまった記事を掲載。過去にバンドマン5人にインタビューした「バンド論」、17名の編集者に聞いた「編集とは何か」、7人の冒険家に取材した「挑む人たち」など。また漫画家の今日マチ子さんに月1回、漫画を連載していただいている。
  • ほぼ日では、担当者が自分の興味があるものを企画し、編集会議で通ればコンテンツとして実現できる。読み物と商品とが入り混じって掲載されている(ブーツを売っている隣にここの珈琲が美味しいというコンテンツがあったり)。
    以前の会社との比較でしか言えないが、やりたいことがあってやり抜く根性がある人にとってはすごく良い会社。逆に、編集部ではとくに「これをやっといてね」という仕事の頼まれ方はあまりないため、自分にやりたいことがないと戸惑うことになるかも。若い人を育てることが、これからの会社としての課題だと思っている。
  • 私自身はインタビュー記事を書くのが好き。あるテーマを設けて何人かにインタビューをし、それを一つの特集にすることをライフワーク的に行なっていて、連載が完結したところで、手を挙げてくれる出版社があれば書籍化してもらっている。
  • ここ数年で携わったものをいくつか紹介すると、『バンド論』ではサカナクションの山口一郎さん、bonobosの蔡忠浩さん、くるりの岸田繁さん、サニーデイ・サービスの曽我部恵一さん、ザ・クロマニヨンズの甲本ヒロトさんの5人へ「バンドとは何か」と中学生のような質問をぶつけた。
    音楽の専門知識はないが、逆に専門誌ではないからこそ、みなさん他ではあまり聞けないことを話してくれた。サカナクションの山口さんは、バンドは植物園のようだと思っている、一個一個が別の花を咲かせているが生えている土壌は一緒、という話をしてくれた。
    装丁は祖父江慎さんが担当。写真を職人の手作業で貼り込む凝った仕様で、つくるのにとても時間がかかった。連載開始からは3年がかり(デザイン自体にほぼ2年)で出来上がった。
  • 『挑む人たち。』は、日本の今を代表する冒険家・探検家7人にインタビューをしたもの。いつもは世界の極地・僻地にいる方々がコロナ禍で全員日本にいたため、一気に連絡して取材を行なった。
    角幡唯介さんは極夜を冒険する極地探検家。北極圏に到達したいといった冒険の仕方ではなく、真っ暗な中を毎日彷徨い、極夜が明けた瞬間をゴールに設定している。平山ユージさんはパリオリンピックでもクライミングの解説をしていたフリークライマー。倉岡裕之さんはエベレスト登頂日本人最多記録を持つ山岳ガイド。前田泰治郎さんは名だたる冒険家(故三浦雄一郎さん、関野吉晴さん、星野道夫さんなど)に帯同していたカメラマン。高野秀行さんはイラクの湿地帯など辺境の地を歩くノンフィクション作家で、語学の本もベストセラーに。石川仁さんは葦舟で西海岸からハワイに行こうとしている冒険家。葦に付着している微生物や虫を狙って魚が集まるらしく、食料を持って行かなくても数か月、釣りをしながら旅をしている。平出和也さんはクライマー・山岳カメラマン。登山の世界のノーベル賞みたいな賞を4度も受賞した世界的登山家。先日、中島健郎さんとK2(世界で二番目に高い山)登頂中に滑落し、残念ながらお亡くなりになった。
    いくつかの出版社へ話をしたが、担当者レベルで通っても編集会議で2度、断られた。コロナで全員が日本にいるから取材するという動機から始まったため、コンセプトが弱かったのかもしれない。そこで「コロナ禍の間、何をしていたか」という追加取材を入れたところ、リトル・モアさんが作ってくれることになった。初めに意図していた形ではないが、結果として日本を代表する冒険家・探検家の方がコロナ禍をどう乗り切ったのかという記録の本になった。6月に発売され、結構読まれている。
  • 『編集とは何か。』は、自分が尊敬する編集者17人へ取材をしたもの。媒体がそれぞれ異なるため、やっていることはバラバラ(小説文芸、ファッション誌、漫画、医学書院)だが、共通するスピリットがあっておもしろかった。
  • 『常設展へ行こう!』も、コロナの産物。海外に行けない時期に国内の常設展(上野の東京国立博物館~富山県立美術館、倉敷の大原美術館など)を回ってみようという連載。各館のコレクションを担当学芸員さんに「大いに自慢してもらう」のがコンセプト。
    DIC川村記念美術館は、建物の構造からして一日数十人しか来館しなくていい造りになっている。儲けようという意識とは別のところからスタートしているのだが、利益が出ていないことを理由に2025年3月から休館の予定というお知らせが出た。空間にあるからこそ、あの素晴らしいコレクションがさらに引き立つと思う。ファンとしてはどうにか残ってほしい。
  • 『現代美術作家・加賀美健の最近、買ったもの。』は、ヘンなものばかり買っている加賀美さんのその行為自体がアートなのではないかと、2年半かけて30回連載したものが書籍になった。加賀美さんは手書きのフォントが有名な方。様々なアパレルとコラボレーションしている。香港のアート・バーゼルでは、無料のお絵かきブースを出すと長蛇の列ができる人気ぶりだそう。
  • 振り返ってみると、今夜のように人前で話すことはほとんどないが人の話を聞くことは好き。かっこいいと思う人や素晴らしい作品を作っていると思う人のところへ話を聞きに行き、記事にするということを20年近く行なっている。インタビューという形式は、圧倒的に読みやすい。話をしているスピードそのままに驚くほど早く読める一方で、中身は濃い。普通の本と同じくらい知識も得られるし、読んでよかったと思える気持ちも得られる。表現の形式として、もう少しインタビューというものが認知されていくといいなと思いながら取り組んでいる。

▼懇談会

  • 高校生の頃から糸井さんのインタビュー記事が好きで、ほぼ日を読んでいた。対談相手の話を引き出すのが上手で、それを通じて自分の知らなかった世界を知ることができた。ほぼ日手帳も高校の頃から長年愛用している。
    他のコンテンツも読むようになり、おもしろいと思った記事の多くが奥野さん執筆のものだった。今夜は念願かなってお越しいただいた。
    『インタビューというより、おしゃべり。』にあるように、多ジャンルの方々のインタビューをまとめていて、俳優の柄本明さんや山崎努さん、画家の山口晃さんなど有名な方がいる中で、Nさん夫婦や蘇鉄を集めている少年など一般の方が同じように扱われているところがすごくおもしろい。インタビュー形式だと相手の人柄まで伝わってくるような気がして楽しい。どうしてこのように突っ込んだ話を聞けるのか、なぜこんなに上手に返せるのかとずっと思っていた。美術館の本にしてもインタビューにしても、事前にどのくらいの時間をかけて専門的な勉強や相手の前提知識を入れているのか。
    →当時のベスト盤みたいな感じで、基本的には自分が好きだったり見ていたりする人ばかりにインタビューをしている。事前に勉強していくこともあるが、それは頼まれた仕事の場合。ここにある本はそういうものが必要でない人たち。Nさん夫婦のような事前に調べようのない一般の方には普通に素のまま、丸腰で行く。
    →もともと、人の話を聞くことが上手だったのか。
    →人の話を聞くことは好きだったかもしれない。ずっと苦も無く聞いていられるし、あまり人の話をおもしろくないと思ったことがないので。運がいいだけなのかもしれないが、これまで7~800人にインタビューをしてきてつまらなかったという経験がほとんどない。
    →相手に興味を持って聞いているからか。
    →半分以上が話してくださる方のおかげ。『俳優の言葉。』という連載ができたのは、俳優の柄本明さんへの取材がきっかけ。インタビューにおいては、話し相手の語尾が意図せず強くなった時には編集の過程で丸めるのが普通。それを柄本明さんで行なったところ、柄本さんの顔が一気に消えてしまった。そこで敢えて丸めずにインタビュー記事を出したところ、「インタビュアーの人が怒られていませんか」という感想がたくさん届いた。その時に、俳優の言葉というものは他の人と少し違うなと感じた。顔と一体化しているというか。変に忖度をして編集でいい感じにまとめてしまうと、全然違うものになってしまう。そこで、人となりがインタビューから出てくるような感じのものを作りたいと『俳優の言葉。』という連載を始めた。
    その一遍に出てもらっている山崎努さんについては、作品は観ていたが、どういう人かあまり予備知識なく取材した。後からまわりに「怖かったでしょ」と言われたが、全くそう思わなかった。偶然、自分がオファーをしたタイミングが主演映画の公開時期だったため、多くの媒体がプロモーションのインタビューを朝から晩まで行なっていた。『俳優の言葉。』は写真にもすごくこだわっているため、自分がスタジオを予約した関係上、朝イチでスタジオ入りし全ての取材を聞いていた。どの媒体も同じような質問をする中、山崎さんは相手ごとに話やエピソードを少しずつ変えて答えていた。当時80歳くらいだったが、すごい人だと思った。最後、自分の番が来て「最後の者です」と言ったところ、「もういいでしょ」とビールを飲み始めた。映画の話はほぼしていない。山崎さんの書く文章が好きだったため、本の話から始まり最後はとても良い感じで取材ができた。
    →インタビューで最近悩んでいることがある。今、ウェブで2つインタビュー記事の連載(月1回更新)をしており、原稿を全て取材相手に見せて自由に手を入れてもらっているが、直すか・直さないかの問題はすごくある。先程、インタビューの語尾を丸めるという話があったが、自分は基本的にいじりたくない。言い損なったり、ぐちゃぐちゃした展開になったりしても、そのヘンな流れも活かしたいくらい。その時に言いたかったことを後から付け加えるというのは違うという気がするし、対談時には覚えていなかった細かいデータをあたかもその時に話したかのように書いているものは見た瞬間にゲンナリする。一方で、福武書店にいた頃に対談の原稿にとんでもない量の赤を入れる方がいて、結果として対談で話していたときと全く違うものになってしまうものの、クオリティーは明らかに上がっているということがあった。対談でなければいくらでも直せばいいと思うが、そこはどう考えているか。
    →いただいた赤は尊重する。どうしてこの仕事をしているかというと、こういうことを考えてこういう作品を作っていた人がいたということを100年後に残したいから。塊として残したい派。これが残った時にどうなっているかという観点で考え、ぐちゃぐちゃとなっている部分もおもしろければ残すが、それが残ったときに誤解を生じさせたり伝わりにくくさせたりするのであれば赤を入れるかもしれない。
    →基本的に間違いはダメだと思うし、編集で読みやすくする必要はあると思う。ただ、それで最初の塊が全く別のものになるのは嫌だと思う。
    →自分以外の人同士の対談は、相手の話も変わってきてしまうため赤を入れるのが難しい。自分がインタビュアーの場合は、赤が入ったらそれに応じて自分の分も調整する。編集者の考え方でやりようはいろいろあると思う。
  • 神保町には古書店主、編集者、大学人、飲食店などの個性豊かな取材対象が多くいる感じがするが、どういう人に話を聞いてみたいか。
    →古本屋でよく雑誌を買うが、古本で一番おもしろいのは雑誌だと思う。その時代の空気が綴じられているというか。メイクやファッションはもちろんそうだが、活字の文章の語尾一つにしても時代が出る。私が雑誌を読んでいたのは90年代以降。80年代の雑誌を読むだけでおもしろい。古書店さんへはインタビューをしたことがないため、まとめてやってみたい。
  • 東京文化資源会議の神保町プロジェクトでは、携帯電話のGPSを使った人流分析や来街者インタビュー、神田古書店連盟(実質は神保町古書店)へのアンケートなど実態把握調査をしている。神保町が好きな人なら誰でも知っているような古書店、書店、飲食店など約20店舗の現場責任者(店主・マネジャー)に話を聞いたが、どこも個性が際立っていてとてもおもしろかった。神保町にはまちの磁場を感じる。神保町という場所にいるからこその発言というものがある。そこが他のまちのインタビューと異なるところ。ぜひ、インタビューをしてみていただきたい。
    →神保町にはアメカジのお店もあり、本とかカレー以外のカルチャーもおもしろい。まちを対象としてみたことが今までになかったが、まちごと(高円寺、新宿など)にインタビューをしてもおもしろいかもしれない。
  • 青山に本社があった頃は、周りとの関わりがあまりなかったのではないか。
    →近隣との付き合いはほとんどなかったと思う。今は錦町の綱引き大会に参加したり、糸井さんがいろいろな会合に顔を出したりしている。地元がもう一つ増えたという感覚。青山には長くいたため、今も「愛着」はあるが、「地元感」は薄かった。
    →ほぼ日さんからは、まちに対して何かやっていこうという気持ちをすごく感じる。
    →それはある。交ぜてもらっている感じ。神保町に越してからは、自然にそうしたいと思うようになったと思う。
  • 私も事務所を青山から引っ越したところ、感じる時間の流れが随分変わった。神保町には所縁がないが、ビルも交通量も多いにも関わらずゆったりしていて大都会という感じがしない。本社を移転して、書く文章や仕事の感覚に何か変化があったか。
    →コンテンツ自体が変わったという感じはあまりないが、以前より通勤が長くなったにも関わらず会社によく来るようになった。リモートでもできるが、他の人も出勤率が高い。神保町のご飯が美味しいというのはあると思う。移転前は、毎日立ち食い蕎麦かサブウェイだった。ほぼ日の仲間がグルメマップをつくっているが、神保町は色とりどりの世界が広がっていて開拓するのが楽しい。
  • 回覧された本を見ていて、図書館に蔵書として入れると読む人は必ずいるが、蔵書20万冊くらいの図書館だと、ほとんど選書で落ちてしまうと感じた。これは、図書館員として一番の問題だと思っている。
    →どういう理由で落ちるのか。
    →一般的な公共図書館は資料費が限られているため、利用者のニーズの最大公約数で集める必要がある。こういった広い意味でのアート的な本は、すごくおもしろいと思うし、読む人は必ずいると思うが、アートを特色で出している図書館以外では、読者が少ないと選ばれない可能性が高い。そのためおもしろくない薄まった蔵書構成になってしまう。それが今の図書館のジレンマ。
    →いろいろな出版社へ持っていくが、これらの本を扱ってくれるのは小さくてもこだわりのある出版社ばかり。そういう所は、部数は少ないがきちんと装丁をして残る本にしてくれる。大手の出版社の場合は効率等が優先されがちなので、なかなかそうはなりにくい状況。
    →いわゆる地方・小出版というカテゴリーに入る出版社の本は一般的な流通に乗りにくいため、図書館員の目に留まりづらい。私たちの頃は休みの日は必ず書店に行き、あまり人が読まないような棚で今どんな本が出ているのかを探し、おもしろいものを見つけて図書館に入れていくのが仕事だった。今の図書館員はあまり街歩きをしない。TRC発行の全点案内に載っているような、大手のたくさん流れてくる本の中から選ぶようなことになってしまうのが問題。夜学のような場で話を聞き、意識的に集めていくこともこれからの図書館に必要だと感じた。
    →そうしてもらえるとありがたい。私たちの場合、わざわざ倍以上の労力をかけてウェブに載っているものを書籍にしている。発売後はイベントをするため手間もかかるが、それでも本にしてもらうことで何十年後に残る可能性があると思っている。紙は脆弱で燃えてしまったりもするが、千年前の新古今和歌集の写しが残っていたりもする。ウェブに掲載されればデジタルタトゥーで一生残るとは言われているが、その存在を知らなければ存在しないに等しい。ほぼ日のコンテンツも膨大すぎてアーカイブに辿り着けないし、検索のしようがない。WEBの記事を現実の世界にかたちとして出すことで数百部でも残ってくれたらいいし、人から人へ手渡されていくといいなと思って取り組んでいる。適当に作るよりも、きちんとしたデザインでこだわった製作をしてくれる方が残りやすいのではないかと思う。
    →そう思うし、その方が残そうという意識が働きやすくなる。書籍にするのは大事なこと。図書館も電子書籍を一生懸命普及させようとしているが、形として見えないものなので紙の本の方が残りやすい。そのようにしていくのは正解だと思う。
  • 座談会に何度か参加したことがあるが、記録したものを後でいくらでも赤を入れて変えられる前提で話す場合と、ほとんどテープ起こしで作りますと言われた場合とでは発言の仕方が変わる。テープ起こしで作る前提だと守りの姿勢で発言するようになり、おもしろいものができないということがある。赤を入れられる方が過激なことができる可能性があると思ったが、どうか。
    →たしかに「後から直せない」となると「ひとまず言ってしまう」ということができにくくなると思う。私が手掛けているテキストだと、「ひとまず喋ってください。後から出したくない所は赤字を入れてください」と言っている。雑談っぽい感じで行なっているため、雰囲気が合う人は割と読んでくれる。もう少しカチッとしたインタビューを読みたい人にとっては「薄い」と思われることもあるかもしれない。
    →相手が話し慣れているかどうかにもよる気がする。
    →私がインタビューをする7割以上の人は有名人ではないが、インタビューに慣れていない人の方が聞いたことのない話をしてくれるため、すごくおもしろいものになる可能性がある。91歳のパンク直しのおじいさんの取材もそうで、その人の孫から「うちのおじいちゃんは91歳。小学4年生の頃から働いてキャリア80年、パンク直しの仕事を千駄木でやっている」というだけのメールが届いた。すぐに返信して取材をさせてもらった。道具も大正時代から使っていて、名前もすばらしくて「鈴木金太郎さん」といった。
    →インタビューは基本、相手をよく調べてから行けというが、一般人だと調べようがない。どういうスタンスで会っているのか。
    →調べようがない相手には、出たとこ勝負でしかない。いつも2時間くらい取材をするが、最終的には仲良くなっていろいろなことを話してくれるようになる。テンプレ的に聞く質問はあまり持っていない。
    →インタビューを読ませてもらうと、相手のことよりも自分の関心事やあなたの事が好きですということ(「〇〇がおもしろかったです」「子どもの頃、これを読んでいました」など)を最初に話されていて、こういうアプローチがあるのだと思った。
    →好きな人のところへインタビューしに行っているため、基本的にはそうかもしれない。現場では完全に雑談という感じ。「あなたのことが好きなんです」と尋ねて行き、雑談したものをインタビューっぽくまとめている。
  • ウェブに掲載するときにある程度編集すると思うが、本にする際、また何かするのか。
    →ウェブだと離脱時間(このページは2分くらいでいなくなってしまうなど)の平均が出る。内容がおもしろいこと、文章のテンポがいいことがあまり離脱されないポイントだと思うが、一人の発言が大きな塊になっていると、そこで離脱しがちだと思う。なので、ウェブは敢えて短いセンテンスのやり取りにしている。逆に本の場合は塊にした方が読み応えがあるため、自分の発言を切ったりくっつけたりして直している。本の方が「編集したな」という実感はある。ウェブはテンポや流れを活かしているが、読みやすい一方で同じことを言っていても薄い感じになってしまう。書籍用に編集することは二度手間にはなるがおもしろい。その作業自体が好き。
  • 『ほぼ日の學校』は1か月有料会員になったが、一本も見ずに終わった。動画はある程度時間を使わないといけない。耳を空けておくことができないことが不便なんだと思った。ほぼ日はいつも昼休みにご飯を食べながら読んでいるが、テキストにするからおもしろく読めていたのかもしれない(動画にすると話すことを遠慮してしまうこともあるため)。最近は動画が多いので寂しい。これからもテキストを増やしてほしい。
    →動画よりもテキストの方が強調したいところを強調できるということはある。発言者が何気なく言った言葉がすごく重要だったりして、編集者はその一言を軸に企画をしたりする。音声や映像だと流れていってしまいがちな一言を拾える点がテキストの強みだと思う。
    →文字だと気になるところがあればそこへ戻ったり、いいなと思った言葉をメモに取ったりできる。動画だと流れていくので言葉があまり残らない。
    →自分たちも動画には力を入れているので否定はしたくないが(『ほぼ日の學校』は倍速視聴ができない設定)、山崎努さんの話はどちらかというと感動する話。それは倍速で見るものではなく、ゆっくり読んで自分の心の中に染み込ませていくような話。倍速で情報を得るコンテンツとは性格が違うものだという気がする。あれを映像にしたらどうなるかは分からないが、やはりテキストに適した内容というものがあって、そこはほぼ日の強みなのでずっとやっていきたい。今の若い人たちはあまり本を読まないみたいだし、動画といっても短いモノが好まれていると思う。そういう世代の人たちに、私のやっているようなテキスト主体のコンテンツをたくさん読んでもらうのは、なかなか難しいことだと思っている。『編集とは何か。』の中で、『SWITCH』編集長の新井さんが「結局、自分は自分と同年代の人達に対して発信しているんだ」と言っているが、それはすごく分かる。同世代に取材をするのが一番おもしろいし、そういう人たちに刺さるコンテンツも創りやすい。それを各世代でやっていければいい気がする。
  • インタビューは基本的に1対1で対象を決めて行なうと思うが、どういう経緯を辿って今のインタビュー形式に落ち着いたのか。
    →中学まではVOWが好きだった。宝島社で『smart』の編集部に配属されてからもインタビュアーはやっていなかったし、ほぼ日に入ったら実力が足りなくてやれることがなかった。企画も全然通らなかった。数年間は糸井さんと誰かの対談に同席して匿名ライターとして記事をまとめていたが、そこで人の話を聞くおもしろさや人の話で自分が変わること、心を動かされることに気づいたのかもしれない。糸井さんはコピーライターでインタビュアーのプロではないが、普通の人が聞かないことを聞いたりするし、型にはまらないところがすごく勉強になった。編集の学校みたいなところで教わるインタビューの仕方とはかけ離れたインタビューを隣で聞いて学んだ気がする。
  • 今までの対談で記事にするのが難しかった内容はあるか。
    →苦労した経験はある。ある有名な画家の方で、頭の回転がすごく早いが話していることがどんどんスライドしていく方がいた。質問に答えながら違うことを発想してどこへ行っちゃうんだろうと思っていると急に帰ってくる感じの話し方をする人の場合、その場での話はおもしろいが、まとめるのがちょっと大変。ほぼ日の読者には専門家があまりいない。ロックにしろアートにしろ、素人として聞いている。そこに合わせた答えをしてくださるので難しいことを言われることはあまりないし、言われた場合にはカットしているかもしれない。敢えて出すことはあるが、基本的には一般の人に届きやすい話をインタビューでは聞いている。
  • 地図会社のゼンリンに勤務している。神保町がすごく好きで、住民やまちに関わりがある人へインタビューをする『神保町の生活史』というプロジェクトを有志で始めたところ。社会学者の岸政彦さんが出された『東京の生活史』の神保町バージョン。『インタビューというより、おしゃべり。』の中で、語り口をそのまま載せているところに惹かれた。生活史も「あー」とか「うー」といった語り口を全て残した状態で記録をしていくので通じるものを感じた。神保町で好きな場所はあるか。
    →神保町ではないかもしれないが、竹橋に向かう近代美術館の途中(学士会館よりも南で橋を渡る手前)に小さな草原があって、夕陽が当たるとナウシカの最後のシーンの「金色の野」に見えるところがある。そこが割と好き。
    以前、ゼンリンさんへ取材をしたことがある。過疎地にある自分の実家の裏は父親が経営していた工場が空き地になっていたが、そこを山口材木店が材木置き場として使用し始め、小さな手作りの看板を道に立てたところ、間もなくしてゼンリンの地図に山口材木店が載ったのを見つけてすごいと思った。過疎の田舎町にあるUターンもできない実家の敷地内なので、全ての道を歩いているというのは嘘じゃないんだとすごく感動した。
    →今でも全国に散り、変わったところはないかと目を皿にして朝から晩まで歩いている。最近はクレームも増えてきているので私有地には入らないという社内規程ができた。神保町には地図会社が多い。地図と関わりのあるまちでもあると思う。
  • 今年新卒で入社してみて、会社員には一つのことを長くやる人と、多趣味な人の2パターンあると感じた。自分は多趣味な方に転ぶ人間だという感覚があるが、日々どのようなことをしてアンテナの張り方や興味がありそうなことを拾う能力を養っているのか。
    →本を読んで自分の興味が広がっていくことはあるが、アンテナを広げようと思ってやっているわけではない。義務になると続かない気がする。自分の仕事の半分以上は誰かからおすすめされてもらったもの。こういうおもしろい人がいるから取材してよと言われて、その人の作品を調べたらすごくおもしろくてハマったとか。自分の興味の範囲はどうしても制限があるため、「いろいろな方に勧めてもらえる能力」を開発していきたい。
  • メディア学の教授で、古書店の写真展示を行なったり、漱石アンドロイドを作ったり、千代田区内の大学にあるコンソーシアムで防災のキャンプやシミュレーションを行なったりしている方がいる。学生の頃にいろいろな事を教えてもらった。
    →変わっている人はおもしろい。インタビューしてみたい。
  • 自分の趣味はメジャーなものが多いので、マイナーなものをいくつか紹介してほしい。
    →個人的におもしろいと思っているのは出口治明さん。60歳でライフネット生命保険を立ち上げた金融の人だが、そこから怒涛のように『人類5000年史』『全世界史』などスケールの大きい本を出している。ずっとサラリーマンだったはずだが、ヨーロッパ赴任中に美術館を回っていたようで分厚い美術の新書を出している。忙しいはずだが1万冊本を読んでいると書いてあった。60歳から書き始めた本もすごい本ばかり。少し前に『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』がベストセラーになったが、社会人になると時間があっても本を読めなくなる。なぜそんなに本が読めて書けるのかを聞いてみたい。『全世界史』は読んでよかった。世界史を1000年ずつに分けて語っているが、ほとんどが戦争の歴史。自分は高校時代は理系だったので世界史は履修しておらず、とても新鮮だった。
  • ゼミで神保町をテーマに30ページ程度の雑誌を作る計画を進めている。作った本は無料で配布するが、それを人に読んでもらう、興味を持ってもらうために大切なことを伺いたい。
    →雑誌は自分たちが楽しんでいる気持ちがそのまま誌面に出る。個人的には雑誌の編集者が一番カッコいいと思っている。企画を立てるのは当たり前だが、自分で原稿を書いたり、カメラマンやデザイナー、スタジオ、スタイリスト、モデルさんの手配をしたり、紙面を作るためのありとあらゆることをやる。撮影が終わると素材を持ってデザイナーのところへ行きレイアウトを組み、出来上がったら印刷所に入れて最後は売るところまで。自分がいた頃の雑誌はすごく自由で編集者が遊んでいる感じだった。無料なら売上を気にしなくてもいいので、自分達が楽しんで自由にやれたらいいのでは。30ページは一つの雑誌の大特集くらいのボリューム。いろいろなことができると思う。
  • ZOZOTOWNの子会社、ZOZO NEXTでライターをしている。1日2本記事が配信されるため、自分で取材をして記事を書いているが、労力をかけて書いた記事が1日で消費されていくところに虚無感を抱き悩むことがある。ほぼ日では自分の記事がどんどん流れていくと思うが、そこにどう情熱を持っているか。
    →毎日更新しているので昨日の記事は古い記事になる。今日出さなければ、自分の記事はなしとなる。ウェブの場合、流れていく感じは強いとは思うが、いい記事を書くと感想が来る。それを励みにしている。たくさんの人に届かなくてもいいと思っていて(届いたら届いた方がいいけれど)、それよりも一人の人にすごく深く届いてそういう感想が一通でもくれば、やって良かった、またやりたいと思える。それが暫くなかったりすると、うーんと思ったりはするけれど。ほぼ日の良いところは、こちらが誠実にやっていれば受け止めてくれる読者がいるところ。それはありがたい。
  • できるだけ奥野さんの本は電車で読まないようにしている。笑ってしまうので。敢えて笑わせる1行を入れているのか、それともふと自然に出てしまうものなのか。
    →今、山口晃さんに聞きたいと思っていることがある。それはユーモアとは何かということ。山口さんはすごく細かい絵の中にヘンなものをちょっと入れる。ヘンな顔の人とか。それはおそらく、山口さんだけではなくてレンブラントなどもやっていたと思う。一見真面目に見えるけれど、その当時の人からするとおもしろいことを入れるのは必要だからやっていたのだと思う。自分も、もし笑ってもらえているとしたら意図的に入れている。肩の力が抜けた方が読み続けてもらえるだろうし、ユーモアが出す役割は結構大事だなと思うことがある。
  • ほぼ日の『箱男』の記事が楽しかった。芸術やアートに関して奥野さんから出てくる言葉は奥が深くて、引き出しがすごく多い。どういうところから仕入れているのか。
    →石井岳龍さんは好きでずっと見ている。アートの知識は、最近では山田五郎さんの『オトナの教養講座(YouTube)』をよく見ている。山田さんは知識が豊富でおもしろい。
    →自分が興味のある人や関心のある本、YouTube動画から入れた知識がインタビューの発言に繋がっているということか。
    →本を読むのも好きだし、展覧会や文楽にもよく行くが、どこかで仕事に繋がるのではないかという下心はあるかも。本当に好きでやっているというよりは、いつかインタビューの時にそこから話が広がるかもと思ってやっている部分もあると思う。
  • 自分の本が図書館にあるとすごく嬉しい。書店も嬉しいが図書館にあるともう一段認められた気がする。
    →個人的には、こういう本こそ入れたいと思っている。出版文化を支えるのに図書館は貢献しないといけない。最大公約数から外れたところをやりたいと思う。

▼次回に向けて

  • 未確定だが、第4回はグリッチコーヒー&ロースターズの創業者をお招きしたい。
    カタカナの「ジモト」は、住んでいる人、働いている人、何の関係もないけれどそのまちが好きな人を含めてジモトを作り直そうという考え方で使っている。そういう人を選んでお呼びしたい。
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