| 日時 | 2025/10/15 19:00~20:30 |
| ゲスト | 廣瀬 直之 氏(廣瀬與兵衛商店) |
| 場所 | 神保町ブックハウスカフェ |
| 参加者 | 13名 |
※発言者敬称略
▼冒頭挨拶【柳】
- 第14回となる今回は、明治13年、神田錦町の地で創業した炭問屋を継ぎ、2023年に「炭」をコンセプトとしたカフェダイニング・ワーキングスペース「廣瀬與兵衛商店(HIROSE YOHEI SHOTEN)」を開業した廣瀬直之さんにお話を伺う。
▼ゲストスピーチ【廣瀬】
- 明治13年、曾祖父が上京して木炭・炭の問屋を創業して以来、145年にわたり事業を続けている。自分は直系で4代目。
- 神田錦町の廣瀬ビル1階で炭火料理を楽しめるカフェを経営しつつ、本業として東京燃料林産株式会社の代表を務めている。
- 炭や会社の歩んできた歴史を語りつつ、日本の森林をいかに守っているのか、さらに木とはどういう資源なのか、というところまで広くお話ししていきたい。
- 炭屋という事業は耳慣れないかもしれないが、かつてはどの家庭も燃料といえば炭だった。現在はほとんどが電気とガス。灯油を使うのもごく稀。我々の仕事が物販業と異なるのは、エネルギー供給業である点。売って終わりではなく、供給し続ける使命を担っている。実際に、自らをエッセンシャルワーカーだと思っている。
- 燃料やエネルギーは、人類が自らの力よりも強いものを資源として発見・活用してきたことから、必ず危険を伴う。火が出ても、熱が出ても危ない。電気に至っては、原子力発電のように人間が制御しきれない領域にまで達してしまっている。
- PL法(製造物責任法)が制定される以前から保安には力を入れてきた。木炭や薪も、使い方を間違えると危ない。よくあるのは、一酸化炭素中毒や小火。
- 炭は、他のエネルギーと異なり嵩張るため保管があまりできないことから、安定供給と保安が重要になる。
- 最近はネットで炭や薪が安く販売されている。BBQで時おり使う程度ならいいが、ビジネス用途の場合、「売れ切れ」により入手できなくなることが最大のリスク。
- たとえば、焼鳥屋に炭を卸している場合、「明日、焼鳥が焼けない」という事態は絶対に避けなければならない。また、質の悪い炭だと煙がもうもうと立ち込め、顧客が離れてしまうということもある。炭屋という商売の本質は、品質・供給量・価格をいかに安定させるかにある。
- 石油の場合、海外の油田からタンカーで運び、国内の製油所で沸点や融点によって分類し、ガソリンやナフサ等の物質に分けていく。これと同じ仕組みが、炭にもある。
- 炭づくりでは、産地で木を伐るところから始まる。山主から木を買い、伐採し、さらに炭というものに加工して、用途に合わせて分別していく。我々の業界では、川下(消費地)から川上(山主)までをいかに安定的に押さえるかが重要。
- ホルムズ海峡が封鎖された瞬間に石油の供給が止まるように、炭も山火事や水害といった自然災害で供給が止まる危険がある。いかにしてそれを防ぐか、工夫が求められる。
- 我々は石油も扱っているが、石油は元売りに頼めば何とか解決できる。しかし、炭に関しては、元売りから小売までを全て担わなければならない。
- 当社では飲食店用の木炭・薪を取り扱っている。業界平均でいうと、海外の炭が9割を占めるが、当社は8割が国産のもの。薪に関しては、100%国産のものを扱っている。
- 海外の木炭は品質も入荷も安定しないため、国産に特化することにした。船会社の都合で荷が止まったり、よくわからない理由で工場の稼働が止まったりする事態が繰り返し起きていた。海外にいるバイヤーも安定供給ができず廃業するケースもあったほど。
- 海外の取引先と意思疎通を図りながら入荷する手間をかけるよりも、国内の関係者と膝を突き合わせて話をし、きちんとした体制を作る方がハードルが低かった。
- 当社では、産地と人的繋がりを持っている本社スタッフが炭の仕入れを担当している。販売は支店が行ない、都内では池尻大橋の倉庫に炭や薪を置いている。
- 炭の大消費地は港区、中央区、渋谷区の飲食店。そこへ配送をしたり、提案をしたりしている。
- 炭焼き職人は社長が多い。そのためこちら側も社長が出向き、「今年はこんなふうに、こんな炭を、これくらい作ってほしい」「値段はここまでは上げます」等、彼らにコミットし、個人的な信頼関係を築く仕事をしている。
- 初代の廣瀬與兵衛(よへい)は、滋賀県高島市の今津という町(琵琶湖の西北にある寒村地域)に6男坊として生まれ、丁稚奉公に出されて炭の仕事を覚えた。その後、安田善次郎さんから土地を借り、神田錦町で木炭の卸売業を始めた。
- 当時、大手町には大名屋敷が、神田の「〇〇町」と名のつく地域には町屋が建ち並んでいた。錦町界隈は、江戸城の防火緩衝地帯。平野となっていた場所を安田善次郎さんが払い下げを受け、そこに先祖が店と家を構え、主に町屋に対して炭を卸す商売を始めた。
- 日本橋川が通っていたため物流の便もよく、大消費地も近く都合が良かったが、とにかく火事の多い地域だった。実際に、4度ほど大火で一帯が全焼したと伝え聞いている。
- 日清・日露戦争や関東大震災の復興等で少しずつ商いの規模を大きくしていった。第二次世界大戦の戦況が厳しくなってきた昭和18年頃には、炭も食料と同じように生活必需品として配給統制の対象となり、祖父が配給組合の初代理事長を務めた。
- 戦後は、軍事物資だった電気やガスが民間でも使えるようになり、燃料転換が起きた。祖父はワシントン講和条約の折に渡米し、庶民がガスを使っていることに驚いて帰国。その頃からプロパンガスを取り扱うようになり、ガソリンスタンドを開設した。こうして石油・ガス・木炭の3事業を展開していったが、その中で、木炭の割合が次第に減少していった。
- 我々の商売の変遷で一番大きかったのは、バブル期の「炭火料理が美味しい」というグルメブーム。それまで備長炭は、老舗でしか使われていなかったが、「日本で一番良い炭は、備長炭」というブランディングが確立。
- 炭というと、ガスよりもひどい、家庭にあると嫌がられる燃料だったが、グルメブームによりBBQでも使われるようになり、需要が拡大。
- 一方、日本の高度成長に合わせて力仕事に長けていた炭焼き職人たちは里山を離れ、都市部の工場に勤めるようになったため、生産の担い手がいなくなった。
- 戦争直後には約270万トンあった木炭の生産量は、バブルが始まる頃には3万トンを切り、1%まで縮小した。グルメブームにより12万トン程度まで需要が駆け上がり、日本の炭焼き技術は中国やアジア諸国へ移転していった。現在では木炭の約9割を輸入に頼っている。
- グルメブームがある程度成熟した後も、「炭火が美味しい」という印象は残り、炭火料理を提供する店は増え続けている。東京だけでも1万軒を超え、その需要を賄うには、十数万トンの木炭が必要となる。一方で、現在の日本の木炭生産量は、1万数千万トンまで落ちてきている。
- 元禄時代から文化・文政時代まで、備中屋長左衛門という商人が、江戸で炭火問屋を営みながら「備長炭」と呼ばれる炭を開発したと伝えられている。岡山県出身の商人だが、なぜか和歌山県の「ウバメガシ」という非常に堅い木に着目した。カシの木の中でも比重が1を超えるため水に沈んでしまい、筏にも使えないという不思議な性質を持つ木。
- ウバメガシは和歌山県では薪に使われていたが、高温炭化で驚くほど硬い炭を作り出した。後に紀州藩の指定産物になるなど、紀州藩も産業振興に関与していたと思われるが、それを江戸へ供給するようになった。
- 江戸へ供給する一番の理由は、鰻の蒲焼を美味しく作るため。当時は、ぶつ切りにした鰻を串焼きにして食べていたが、江戸っ子はせっかちでおっちょこちょい。骨が喉に詰まるのを防ぐため、身を開いて早く火が通るようにし、ファーストフード感覚で早く食べられるようにしたかった。
- 問題は、火力が強すぎる炭だと、焼きと蒸しを繰り返す過程で焦げたり、身が崩れたりしてしまうこと。また、炭の火持ちが悪いと、火の管理に追われて鰻を見られなくなる。そこで、ある程度火力が強く、長時間火持ちする炭が必要となった。文化・文政時代に入り庶民が贅沢するようになったことで、炭の開発が進んでいったと思われる。
- 備長炭は、いろいろなものが便利に焼けるため、飲食店専門の炭として進化していった。
- 昔ながらの炭の進化は、千の利休が「炭を見せる」という芸術を始めたことに端を発する。お茶事では、お茶碗等の道具を見せるのが一般的だが、千利休は燃えてなくなっていくものに美しさを見出す、という美意識を庶民に植え付けた。
- 茶事は2〜4時間かかるが、はじめに高い火力で湯を沸騰させ、湯が落ち着いてきた頃、懐石の最後に濃茶を出し、続いて火を弱めてお菓子と共に薄茶を点てる。その火力調節をしながら炭を愛でることも可能にするため、お茶炭を開発した。お茶炭は、皮が厚くて断面が菊の花のような綺麗なものが良いため、クヌギの木を炭にすることを千利休が考案した。それがお茶炭として進化。
- 普段、家庭で使用する炭には、ナラやカシ等の身近にあり群生しやすい木を選ぶ。
- 西日本はカシ、東日本はナラが群生しやすい。木は、周りの木を殺す作用のあるアレロパシー物質を出すが、ナラは特にそれが強い。放置すると、すべてナラ山になる。根こそぎ取らなければ、また切ったところから生えてくる。約30年サイクルで伐採。
- 一般家庭で使う炭はナラとカシ。飲食店はウバメガシの備長炭。お茶炭はクヌギ。それぞれが進化を遂げ、日本人はそれらを用途に合わせて使ってきた。
- クヌギは皮が厚いため、はねやすい点に注意が必要。皮が厚いほど内部に空気を多く含むが、水気を含むと空気の通り道が水で塞がれてしまう。加熱によって内部の水分が気化し膨張すると、逃げ場を失った圧力が局所的に高まり、塞がれた部分を中心に爆発してしまう。お茶事の参加者は綺麗な和服を着ていることが多いため、はねない工夫もいろいろしている。
- クヌギは、直火だとはじけた炭が食材に付いてしまうため、家庭より外で使うことに向いている。見た目が綺麗で火力が非常に高く、沸騰のスピードは圧倒的に早いが、火持ちもする。
- ナラの炭はBBQ向き。岩手切炭が有名。「廣瀬與兵衛商店」は、これを用いて調理している。オールマイティな炭。火力もある程度強く、適度に火持ちするうえに、あまりはねない。
- オガ炭について、日本で木材を大量に使っていた時代、オガクズ(木を削った粉)の捨て場がなかった。畜産で馬や牛の床に敷いて汚れを吸わせたり、クッション代わりに使ったりしていたが、当時の日本人はそこまで肉食ではなかったため、使い切れなかった。大量に余ったオガクズを引き取ってほしいと言われて目をつけたのが、日本の杉だけにある特性。高温で絞ると杉の中にリグニンと呼ばれる接着剤のような性質を持つものが出てきて自然に成形する。この性質を利用して作られたのがオガ炭。焼肉屋でよく見かける、丸く穴の開いた炭。
- 以前はお金をもらってオガクズを引き取り、販売する際にもお金をもらっていたため、ダブルで利益を得ていた。今は事情が変わってきているが、非常に安く作れた。
- 備長炭なみに硬く絞った炭。元々が粉なのではねたりもしない。難点は、穴が空いているため、そこから炎が出やすく、食材を焦がしやすい点。
- 「何が一番よい炭か」と質問を受けることが多いが、用途にあった炭を用いるのが一番。
- 炭を顕微鏡で見ると、いろいろな形をした穴が開いている。臭いの分子を吸着するため、消臭剤として使われることも。また、穴が呼吸をするため、調湿の効果もある。
- 燃料としての木炭の特性として、炭単体とガス単体のカロリーを比較すると、ガスの方が強い。炭が食材を燃やすわけではなく、炭で温められたコンロ全体で食材を温める(輻射熱)ため、焼鳥は炭で焼いた方が早く焼けるし火力も強い。
- 電気やガスよりも、炭の方が中まで火がきちんと火が通る。先に外をこんがり焼いてくれるので、肉汁を逃がさない。そうすると、中をふっくらジューシーに焼くことができる。
- 電気で調理すると、どうしても中まで乾いてしまう。
- ガスは炭化水素(CH系化合物)。燃やすとH2Oが出るため、食材が水っぽくなる。
- 炭を商品として扱うときの一番のポイントは、供給量・品質・価格の安定化を愚直に行なうこと。利益を出そうと物販に走る会社もあるが、やはり燃料なので、これを心がけないと継続して使ってもらえない。
- 海外の炭でBBQをすると、美味しくない。国産の炭(6キロで約3,000円)は、海外のものと比べて約5倍の値段がするが、非常に美味しくなり、少量でもつ。
- たとえば、家族で一日BBQをする場合、海外の炭だと5キロを使い切ってしまうが、岩手切炭だと約800グラムで済む。国内も炭も海外の炭も、経済的にはあまり変わらない。
- きちんとした売り方をしないと、生産者が生活できない価格になってしまうため、この点には気を付けている。当社の社員は、年に2回程BBQをする。火を点けられない社員や、炭を入れ過ぎて焦がしてしまう社員もいるため、きちんと学ばせてお客さんにも提案できるようにしている。
- 難点なのは、炭焼き職人の確保。日本は地方も首都圏も高学歴化してしまい、炭焼き職人の子どもは、一旦、都市部の大学へ行くと戻ってこなくなる。
我々も、若者を産地へ連れて行き、炭を焼くおもしろみを伝え、リクルートするということを繰り返し行なっている。 - 備長炭の産地は、和歌山・高知・宮崎の3ヶ所にしか残っていない。10年程前に「尾張備長炭」というブランドを立ち上げ、愛知県の知多半島で新しい産地を作っている。知多半島は、半島がウバメガシでできているため、材料が豊富。
- 熊本の生産者のところは、後継者問題があり当社で買い取った。今では社員数も25人程になったが、30代が多い。
- 炭焼き職人は、やってみるとおもしろい仕事。高学歴の人も喜んで携わっている。物づくりには化学的なアプローチが必須。良い炭を焼くと、自信も出てくる。会社員と異なり、職人は自分の力で収入を増やしていかないといけない。技術を磨き、炭の歩留まりを高めて品質を改良していくと、収入を増やしていける。その魅力を説明して人を増やしている。
- 焼鳥屋の「秋吉」は特殊な炭(炎が出る炭)を使う。炭は炎も煙も出ないが、赤ではなく青い炎を出す炭が必要だった。開発に7年程かかったが、ある職人が焼き方を確立し、それを横展開して「秋吉」専用の炭を当社が一手に引き受けることになった。
- それを機に、炭焼き職人の悩みを聞くようになり、山を買わないといけない、重機も入れないといけない、生産性の上げ方もやり直さないといけない、林業の勉強もしないといけない、となった。日本林業経営者協会に入り、林業の産地で木のことを教わったり、木の切り方や重機の使い方を覚えたりしながら、林業家としてスタートして10年目。木材の生産から炭の製造販売まで一手に引き受ける、6次産業化を確立している。
▼懇親会
- 備長炭は美味しくて高級、職人さんが丁寧に作っているというイメージがあった。日本と海外との炭の品質差はなぜ生じるのか。
→人類が炭を作ったのは、おそらく山火事がきっかけ。山火事の後の消し炭をまとめて使うと、長時間火が持ち、火力も安定する。こうした理由から世界中で炭が使われている。
もともとは中国の技術らしいが、日本が他の国と違うところは、窯の構造と炭化工程が2段階に分かれている点。
海外では、穴を掘って木材を入れて上から覆って蒸し焼きにする「伏せ焼法」が一般的。子どもを集めたワークショップで「炭を作ってみよう」という場合、この方法だとドラム缶でできる。
一方、日本の炭は、炭化工程を1つに区切っていない。炭になるのはだいたい400℃~500℃。伏せ焼法では、その温度で止めるのが一般的だが、日本の場合は窯を高くすることで高温が出る構造にし、低温炭化工程と高温炭化工程と2段階に分ける。
木は水分を含むため、煙を出して乾燥させる工程が1週間ほどかかる。それが終わると、炭化工程へ移る。そこからさらに、少しずつ酸素を入れ、灰にならない程度に高温にしていく。
日本は黒炭と白炭とに分けるが、海外では黒炭がほとんど。ただし、日本の黒炭は特殊で、比較的高温域で炭化される。およそ850℃という、酸化炎から還元炎へ移る手前の温度域で調整しながら焼き上げている。
備長炭の炭化温度は1,000℃を超える。そこまでいくと年輪も消えてツルツルになる。鉛筆の芯みたいに、皮も焼け切って消えてしまい鉄の棒に近づく。
海外の炭は燃やすと煙も匂いもまだ残っていて、薪と消し炭に近い。日本の炭は完全炭化した炭を使っている。乾燥、炭化、精錬(ねらし)と精錬の工程が備長炭だけではなく黒炭でも必ず入ってくる。
人によっては、ナラ炭の煙の調整を15段階くらいで行なう。目や耳、身体の全センサーを用いて煙の色(黄色→紫→透明)で判断し、透明になる直前で止める技術を持っている。海外には、そこまで気を入れて作る職人もいなければ、窯の構造も違うため、なかなか良い炭ができない。 - 日本の食文化が洗練されていることも、高温炭化の技術が発展した理由の一つか。
→逆だと思っている。世界中、どこの家にも煙突があるが、日本の家屋にはそれがない。藁葺き・茅葺き屋根で、あろうことか上階で蚕等の生き物を飼う習慣がある。冬でも温かいが、煙にいぶされて茅や藁の害虫は死ぬ。そういう日本家屋の構造だが、土間でご飯を炊く際には薪で焚く。一方、囲炉裏で鍋を囲む際には無味無臭の熱源が必要になる。
いかに炭から煙と臭いを取るかに特化して高温炭化工程を考えたのではないか。
高温炭化の炭ができると、食材が抜群に美味しくなる。それで日本の食文化が発展していったのではないかと想像している。
→雪が深いため、煙突を作らなかったのかもしれない。 - 大学生を対象にスタディーツアーを組み、炭焼き体験してもらってはどうか。
→そういうツアーは大歓迎。当社では社員向けの森林研修(約2泊3日)を年に1度行なっている。 - 子どもの頃は煉炭を使っていたが、どういう種類の炭なのか。
→練炭が開発された頃は、石炭の粉が多かった。それらをバインダーで固めて成型し乾かしていた。
→別のものから固めて練炭にしていたのか。
→そう。練炭は割と毒ガスが出やすい。
→練炭で魚を焼いているシーンを漫画で見るが、美味しいのか。
→炭なので美味しいが、何が入っているか分からないため、個人的にはあまり焼く気がしない。今でも煉炭を使っているのは、煮込み屋さん。練炭は12時間程持つ。店を開けて放っておけば勝手に煮込みが仕上がっている。火がぼんやりしているため、焦げない。使い道としては、暖を取ったり、煮込み料理をしたり。 - 知多半島で材木問屋を営んでいる。エネルギーを安定供給する点が商いの根幹にあるということが新たな視点だった。それを維持するためには、生産者と消費活動の両方を広げていく必要があるが、それがおもしろさでもあり、難しさでもある。この世界の担い手を増やす活動が広がるといいと思った。
→その点は非常に苦労している。炭焼き職人を飲食店に連れて行くツアーをよく開催している。炭を焼く作業は、孤独。褒められる機会があまりない。鰻屋や焼鳥屋に連れて行き、「自分の腕一本でこのミシュランの店を支えている」と感じてもらうことは非常に大切。モチベーションが格段に上がる。逆に、焼鳥屋の店員を産地へ連れて行ったりもしている。 - 私の会社でも農園を持っているが、生産者が消費者と分断されて、活力や誇り、モチベーションが続かないことが、担い手が増えない根本的な問題だと感じている。そこをダイレクトに繋ぐ試みは、非常に効果的。この業界に可能性を感じる子どもたちが増えると、生産者のやる気も上がる。価値を回していくバリューチェーンの発想が大事だと思っている。
→岩手県の産地も、お付き合いのある生産者の跡継ぎは20~30代。ツアーのおかげで、父親の仕事を子どもが尊敬するようになったことは大きい。 - 高校勤務。女子生徒も、今は半分くらいが理系に進学しているが、土木や林業の分野には関心が向いていない。どう働きかけると視野を広げられるか考えている。ぜひ、一度学校でお話をしていただきたい。
- 生産者の跡継ぎの中で、女性比率はどれくらいか。
→あまりイメージがないかもしれないが、地方の山では女性がよく働く。林業チームは9人中3人が女性。女性が職場にいると男性がよく働く。女性は声が高いため、危険な時に声が通りやすい。そういう意味では林業にも向いている。 - 熊は出るのか。
→重機やチェーンソーを持っているため、生産地には出ない。猪や鹿は出てくる。一番危険なのはスズメバチ。 - 生徒がこの分野の勉強をしたい場合、どの大学を勧めたらいいか。
→日本の林業は針葉樹に特化していて、里山の林業はあまり知られていない。来月も熊本に林野庁の方を8人くらい連れて行くが、広葉樹を教えてくれと言われている。徐々に変わってはきているが、それらを教えられる学校がないのが現状。 - 広葉樹は、「所詮は角材や内装材でしょう」というイメージになりがち。
針葉樹は列状に植林し、機械で列状に切れるため、直線的な構造ができる。一方、広葉樹は勝手に生えて枝も広がるため、どこに重心がありどう倒れるかを計算しながら切らなければならず、人手も時間も技術も必要となる。林業大学校の出身者を採用すると、まずは学んだことを捨てさせるところから始めないといけない。 - 圧倒的に針葉樹より広葉樹の方が堅いため、切った瞬間に反対側へはね、落下事故に繋がることも多い。危険も多く、手間もかかる。実際に携わっている人の技術が消えないうちに全国に伝播するのが悲願。
- これまでは消費者に合わせて価格が下がっていたが、今度は提供する側が価格を決めていくことになるという話を他のセミナーで聞いた。畜産用の資料に混ぜるという話は初めて知ったが、悪臭を抑えることができたら、畜産業のなり手が増えることにも繋がるのでは。
→炭の窯から出る煙を液化させて集めると木酢液が出てくるが、畜産の消臭に効果がある。科学的根拠は難しいところがあるが、木酢と炭を混ぜたものを飼料に混ぜると、豚や鳥の臭みが消えたり、糞尿の臭いを抑えられたりする。学術的なデータを取ったうえで、作っている肥料会社もある。
科学的な配合飼料よりは値段が高くなるため、どうしても高価格帯のブランド肉にはなるが、実際にそういう肉を扱う所も増えてきている。
オガクズも、床に混ぜると雑菌が発生しないので長持ちさせられる。愛媛や広島の大学で研究をして畜産への応用も始まっているが、大々的な社会運動にまでは発展していない。 - いわゆるバイオ炭も注目されている。実証実験中だが、キュポラ炉(鋳鉄を溶かすための縦型円筒形の溶解炉)の石炭代替燃料として使う等、いろいろな可能性を秘めている。時間はかかるが少しずつ進んでいる。
- 日本自然保護協会の自然観察指導員として、里山に入って子どもたちに生態系や生き物の繋がりについて話をしている。日本人の炭の伝統的な作り方は、日本の風土や植生に合った資源でもある。炭を単なる燃料としてだけではなく、消費することによって本来のあるべき生態系が戻る可能性があることをアピールできるといいと思う。
→昨年、林野庁の中に「国産広葉樹利用活用推進チーム」が設置され、自分も参加している。和歌山の針葉樹山で丸坊主になった山(20ヘクタール)を購入し、ウバメガシを植林したところ、北斜面は杉に、南斜面は広葉樹に向いていることに気が付いた。こういう「適材適所」の知見が各地域で出来てくると、うまく山の資源を使い切れるようになる。そういった体制を作ることが大事。 - 間伐をすることによって下層植生が回復し、生き物が多様化していく。鷹をはじめとした捕食動物は、見晴らしが良くないと獲物を獲ることができず、全滅してしまう。適度にどう切るかという長期計画を各市町村が本腰を入れて作らなければならない。選挙で選ばれた村長から「福祉だよね」と言われると難しいが、その重要性に気が付いている市町村は取組を始めている。草の根運動は、国民の意識が高まらなければ、なかなか大きな運動に繋がっていかないと感じる。
→有名な建築家が、「デザインが必要だ」と言っていた。AI技術の進化によりデザインするだけでは建築家とは言えなくなっている。その先にあるのは、自然を生かしたもの。植物に詳しい人が山もデザインできるようになるといいのではないか。
→そういうノウハウが結集できるような場が必要。それぞれが思っている正解が集まると、素晴らしいものができると思う。 - 小規模の個人事業主として炭焼きをされていると思うが、法人のように組織化するようなことはあるのか。
→ 愛知県の知多半島では、備長炭生産者組合が作られている。
一番偉い人ではなく、一番面倒を見る世話役的な人を作ることが、最も大切で大変なところ。社長さんの集まりの場合、会社より組合の方がうまくいくケースが多い。 - 常温で倉庫に置いている炭は、何年くらい持つのか。
→湿気を吸い過ぎていなければ、未来永劫使える。問題は臭いを吸いやすい点。靴箱に炭を入れる人が多いが、その炭をBBQに使うと靴箱の臭いになる。ただ、完全に臭いが抜けるまで待てば、かなりの確率できちんと炭として使うことができる。 - 飲食店に卸している炭の在庫のリードタイムや、保管期限、保管場所はどうしているのか。
→借りている倉庫と自社の倉庫とがある。コロナ禍の間は買い続けていたため、4年分の在庫が貯まった。インバウンドにより飲食店での需要が増え、在庫も減ってきたが、以前の倍ほどの量にはなっている。
温度管理はしていないが、屋根に熱がこもらないような塗装は施している。
一番大切なのは、毎日換気すること。虫が入らず湿気がこもらないような場所であれば、20~30年は保管できる。
湿気がこもると穴に水が詰まり、はじけやすい炭になってしまう。 - 製造業ではDX化を進めているが、この分野ではどうなのか。
→日本よりも極端に人口が少ないものの森林面積が多いニュージーランドでは、1人で重機を3台動かしている。重機も用途(木を切断し一定の長さに揃える、収材する、運ぶ)が分かれており、山にWi-Fi網が整備されている。
熟練の職人ではなく、昨日までコンピューターゲームをやっていたような人が扱っている。ハイランダーというかなり高度な重機が岩手県にあるが、それを扱っているのも20代のゲームが上手な若者。もはや機動戦士ガンダムの世界。 - 昔のドローンは針葉樹しか分からなかったが、最近のものはかなりの確率でナラやカシも判別できるようになった。木の高さから木材の量まで的確に把握して山林の立木量(立米)を推測したり、AIに解析させることで先に切った方が良い木を判別できたりもする。
- 先週、森林・林業・環境機械展示実演会があったが、ものすごくハイテク。木の重さに耐えうる重機である必要があるため、林業は農業以上に大きな機械(都内の工事現場にある機械の4~5倍)を用いる。
- 最近の事故は、チェーンソーや木の落下によるものではなく、重機ごと谷に落ちるといったもの。道づくりの甘さや土砂災害のために起きる事故が多くなってきているものの、進歩はしてきている。
- AIの進化により、山の樹種の割合をデジタル解析できるようになった。昔は木の直径を測り、円周や高さを出していたものが、今では数秒でデータ化できるようになった。ただ、値段が高いため炭焼き職人は導入できない。我々が行なったのは、重機の一新。
- ニュージーランドも急峻。滑落防止のために、リンチのようなものを繋げながら作業をしている。日本は針葉樹の軽い木を中心に考えているため、重機は比較的小型。道も狭く、超大型の重機を入れるには自腹で道を作る必要があるため、採算が合わない。
→ニュージーランドは、第一次産業の力が非常に強い国。そこへお金を投資している。 - いつもお店を利用させてもらっている。生産工程からマーケティングまで一貫体制で考えられているため、ストーリーで発信できたら。神田錦町で炭を用いた素晴らしい会社を経営されている方がいるということをもっと広めていきたい。
- 質問の答えも全て興味深かった。あらゆる質問に的確に答えられるのは、豊富な知識を持っていることと、それだけ奥が深い産業であることの証。煙の色で判断するといった話は、日本人が好きそう。そういったストーリーまで語ると、単に「寿司がおいしい、鰻がおいしい」だけではなくなると思う。インバウンドの外国人が「この炭はね」というところまで見にくるほどの素材になると感じた。
→マニアックな職人の世界は、多くの人に聞いてもらいたい。 - 炭の話はこれまで聞いたことがなかった。どこで聞けるのか。
→炭業界はとても狭い。炭屋はあまり産地に行かない。
→YouTubeでぜひ紹介してほしい。
→こういうものを「ほぼ日の學校」等で伝えると、注目を浴びる感じがする。大学がないということは、育成方法も課題か。
→高度成長期に、いろいろなものを捨てざるをえなかった。ローテクはなるべく排除して、日本が前に進まないといけない時代だった。自分も入社した頃は、「いつ炭の事業をやめようか」と考えていた。 - 20年程前に放送されていた、『びんちょうタン』というアニメで初めて自然と炭の関係を知った。炭業界の方はコミットしていたのか。それ以外で炭の情報が入ってくることがなかった。
→和歌山県は、コラボしていたようだ。産地は割と発信しているが、取り上げるメディアが限られている。一般向けのPRがあまりできていない。
▼次回の予定
- 第15回神保町夜学は11月19 日(水)、会場はYON(肆)。
- 「神田神保町古書店街と組合組織」というテーマで、専修大学の渡辺達朗教授に話を伺う。

