第5回 神保町夜学

神保町夜学
日時2024/11/27 19:00~20:30
ゲスト杉山佳世子 氏(「神保町 肆YON」オーナー)
場所肆(ヨン)地下1階

※発言者敬称略
※下線は柳

▼冒頭挨拶【柳】

  • 本日は、最近神保町に開店した、従来の神保町にありがちなスタイルとは異なるカフェ・文化スペース「肆(ヨン)」のオーナーである杉山佳世子さんをお招きした。
  • 本拠地だった渋谷から神保町へ移ってきた理由やここでやってみたいと考えていること、実際にお店を経営してみて感じる神保町について、その想いを語っていただく。

▼ゲストスピーチ【杉山】

  • 千代田区育ち。実家が麹町で、本業は歯科医師。来年で50歳。小・中・高と四谷の学校へ通い、日本大学の歯学部に6年間在籍。今も千代田区一番町で開業している。歯科医としての最初の研修先は口腔外科。その後、障害者専門医として勤務。今でも自院で自閉症児の診療は続けている。
  • 歯科医師になり26年目。もともとお酒が好きで、34歳の頃、1か月の飲み代が30万円になったことを契機に渋谷へお店を出すことになった。当時、飲食店勤務だった知人へ「こういう物件があるけれどお店を出さないか」という話がきた。知人は断ったが、何でもタイミングだと思い、なんとなく始めて今年で15年目になる。
  • 渋谷のお店は道玄坂の路面店。最初の1年は集客に苦労したが、クラブのある通りで若者が多いため、徐々にお客さんも入るようになった。1階のお店は「ゴールデンボール」。3年程経った頃に2階が空いたので、そこも借りてスナックにした(「女豹」)。1階のお店は立ち飲みバー。当初はたこ焼き屋だったが、徐々に作れる人がいなくなり、今はミュージックバーのようにしている。コロナ禍で数年間は厳しかったが、一応、持ちこたえている。ここ(肆YON)もまだ認知されていないため厳しいが、何とかなるかなという感じでいる。
  • 音楽が好きで、言葉がきちんと通じる良音を聴き、大人が楽しめる社交場を作りたいとずっと頭に描いていた。海外では5~6年前から日本のジャズ喫茶にインスパイアされたリスニングバーが流行っていて、それらを調べているうちに、それが自分のやりたいことなのだと分かった。
  • アートとお酒と音楽を合わせられる何かができないかと場所を探していたが、ワンフロアの広い場所となると資金が足りなかった。スポンサーの付け方の知識もなかったため、自分で借金をしてできるのは何だろうと思いながら娘と神保町を歩いていた時に、偶然、ボロボロの高岡書店を発見した。何となく気になり、管理会社に問い合わせたところ、もう3~4年も空いていた。内見させてもらったら、至る所に穴が開いていて、廃墟のようだった。階段だけという作りであることや、場所が良いだけに家賃も高いことから、借り手がつかなかったようだ。
  • やりたいことは音楽・アート・お酒の3つ。だったらやってみようと思い、この物件を借りたのが昨年の12月。ようやく銀行の審査が降りて工事を始めたのが今年の5月。オープンしたのが7月。ほとんど自分で壁を塗り、全て手作りしている。
  • 今後は3階をお土産屋さんにしようと思っている。日本や神保町のもの、若いアーティストや学生が撮った写真等をきちんとした額縁に入れて海外の人へ発信したり、神保町発の何かをできたらと思っている。皆さんにもご協力をお願いしたい。
  • 神保町へ移ってきたのは偶然だが、私にとっては良かった。地元に戻ってきた感覚。
  • 渋谷との違いでいうと、渋谷は何もしなくても人が来る。ただ何をするというわけでもなく遊びに行くのが渋谷で、年齢層が非常に若い。海外の人も多く、いたるところで喧嘩をしていて治安の悪化を肌で感じる。神保町は本の街ということもあり、目的を持って来る方がほとんど。音楽にしても、「このセレクターが行なうから肆YONへ行こう」といったような目的を作らないとうまくいかない感じがする。
  • 飲み屋や喫茶店はたくさんあるが、老舗がとても強いという印象。「あそこの喫茶店へ行って写真を取ろう」とか、「その老舗にいる自分が好き」といった若い女性が多い気がする。
  • 神保町付近で働いている人には行きつけのお店があり、その点でも老舗が強い街だと感じる。飲食店はルーティーンに入ることが大切。老舗に食い込んでいくのと同時に、2週間に1回でもいいのでルーティーンに入れたらと思う。アドバイスをいただきたい。
  • 今後の展望については、立っても座っても飲めるカウンター文化を流行らせていきたい。神保町はコの字型のカウンターがあるお店が多いが、立ち飲みができるカウンターのお店は少ないと感じている。
  • 2階のアートと地階の音楽、それらの交流点として1階を使ってもらい、老若男女関係なくいろいろな世代の人が自分の好きなものを思い切り語れる場所にしていきたい。肆YONに来たいと思う人を増やして、神保町の老舗や出版社の方も巻き込んで一緒に何かをしていきたい。何週間か前までヘヴィメタル雑誌『BURRN!』の企画で、シンコーミュージックさんと一棟全部BURRN!を2週間行なった。開店4か月くらいだからこそ、飛び込んでいけるところは飛び込んでいきたい。
  • 店名の由来は「ほしいがままに」という意味。「ゴールデンボール」のスタッフと一緒に考えた。4階建ての4や、店という意味もある。書肆からとったわけではく、後付け。
  • お店のスタッフはできるだけ売れない作家・芸能人・モデルや人生にくすぶっている子を雇うようにしている。プイッと辞める子は今までに1人もおらず、基本的に卒業という形で辞めていく。募集をかけたことはないが、働きたいと言ってきてくれて6~7年働き、やりたかった仕事が忙しくなってきたので辞めるというパターン。

▼懇談会

  • 昼間も音楽を流しているのか。
    →流しているが、昼間はジャズが多い。
  • どういう客層が多いか。
    →若い人にも来てほしいが価格設定的に難しい。親が学費を払っている家庭は違うと思うが、渋谷で見ていると今の学生はみんなお金を持っていない。2階のギャラリーで働きたいと言ってきた学生も、103万円の壁で親に反対された。学割もしてあげたいが、仕入れ値がすごく上がっているため難しい。今は、若者をつぶすような制度が多い。歯科医師をしていても飲食店を経営していても、何かを変えないと日本人はダメになっていくように感じる。
  • これからアートはいいのではないか。ギャラリー側は手数料をいただくが、自分達で値段を付けられる。働き方も、今の時代は変えていかなければ厳しいと思う。
  • 海外の人も来店するか。
    →昼くらいから来店する。ここが難しいところで、海外からのお客さんも増やしたいが、増えすぎるとトラブルも多くなることを渋谷で経験済み。
  • 「女豹」が台湾の雑誌に掲載されていたのを見た。
    →普通のカラオケスナックだが、以前は取材も入っていた。最近はないと思う。
  • 神田明神も外国人観光客が多い。
  • 客が客を連れてきたり、客が世代をつないでくれたりするお店は居心地が良い。すごくお気に入りのお店は特別な人しか連れて行かない。一度、そのお店に取材が入り、海外の人が押し寄せたことがある。常連客が「そんな店でいいのか」と言って、それからは一切、そういうことをしなくなった。
  • インバウンドに関して言うと、以前は「あそこのランチを食べに行きたい」、「相撲居酒屋に行きたい」という感じだったが、今は東京ではなく地方へ行くのが人気。
    →物を買ったり食べたりということから、海外では味わえない雰囲気を提供してくれるところへ行きたいという風潮へと変わってきた。
    →日本の田舎で農業体験をするといった体験型のものが流行っているとは聞く。
  • 神保町のご近所さんからかなり警戒されていたと思うが、関係はどうか。
    →見て分かるように、スタッフもそれなりに派手なので警戒されているところはある。物件を借りた昨年の12月にお隣さんへは挨拶に伺ったが、昼間は診療でいないため、ご近所さんとの付き合いはまだできていない。子どもの塾が終わる時間には帰宅するため、飲みにも行けていない。一軒だけ女性が経営しているバーに行ったことがあるが、ずっと空き物件になっていたのでオープンしてくれて嬉しいと言われた。
  • 商店会との関係はどうか。
    →靖国通りは商店会があるのか分からない。(関係づくりは)まだ全くやれていない。
    →この辺りの実力者は、商店会関係だと三幸園グループの社長。他の場所と比べると、商店会の結束はあまり強い感じではない。
    →楽器屋やギャラリーも多いので、自分で何かしら作ることを考えている。
    →ぜひ一緒に考えたい。
  • インテリアや建築もそうだが、物作りや芸術への憧れと尊敬からこういう施設を作った。神保町は芸術の街。かなり深く根付いた文化があるため、新しく文化を作ることは難しいが、また違った文化を作っていきたいという想いがある。
  • stacks bookstoreが渋谷から移ってきた際にも、同じように、全然違う場所だからそこを目がけて来てくれるようになるとおっしゃっていた。
    →stacksには本という強みがある。きちんとしたベースがあって成り立っているお店がさらに深い本の街へ移ってきたというのは、すごく強い。私の場合は飲食店をやっていたが、飲食でないものをここで作るとなると、歴史と文化の深みがなさすぎて難しい。一方で、そこを作っていく必要性はすごく感じている。
  • 古書店で今売れているのは、アート系ばかり。小宮山書店が筆頭だが、それ以外のところもビジュアルな本が多い。表看板と中が違っていて、写真や映画が強い店もある。
  • 文献書院(文献ロックサイド)へはよく行く。みんなお洒落な方に走りがち。個人的にはまた紙の文化がくるのではないかと思っている。
    →今、ZINEがすごいということも最近知った。
  • 『チケットぴあ』の雑誌がなくなったのは痛かった。テレビや映画の一覧を見られたり、何となく気になるから行ってみようというのがあったりしたが、今はピンポイントでしか見つけられない。また復活しないかなと思っている。
    →「座・高円寺」という芝居小屋が出しているコミュニティー誌のクオリティがすごく高い。食から芝居から本から何でも載っている文化新聞をタブロイド版で月刊誌を目指して作りたい。
    →いろいろな人が取材を行なうと、様々な視点が入っておもしろい。
    →そういうものを作れる人が神保町にはたくさんいる。ここのメンバーでも、スポンサーさえいれば作れる。
    →昔に戻るというよりも、新しく何かをすることが大事なように思う。
    →一覧で見られたりチラ見ができたりする紙の良さを再認識できる感じのものがいい。情報工場という会社が書籍ダイジェストを発信している。書店もそこで紹介された本を置く等していて、アナログとデジタルがうまく結びついている。
  • デジタルだけのものはおもしろくない。学生が撮った写真へ子どもの視点等を絡ませるとおもしろいかもしれない。ここでも良いオーディオで子どもたちへ音楽を聴かせたい。
    →今の子どもたちは編集技術がある。写真でも何でもうまく混ぜ合わせて一つにまとめたものを作る。だからZINEが流行る。
    →新旧をミックスする力と吸収する力がある。
    →今の子どもたちにはもっとアナログなものを見せたらいいのでは。真空管も見たことがないはず。
    →レコードを聴かせたりする会を開きたい。
  • 高岡書店の遺伝子をどこかに現せられるようなものがあるといいと思った。
    →そうすると漫画。実家では漫画が禁止されていたため、コミック専門店の高岡書店へよく来ていた。
    →ここへ入った時、あまりの変わりように驚いた。80年代の初頭、仕事の関係で漫画情報誌を卸していたが、高岡書店は客も店員も濃かった。ここで育った人たちが親世代になっているので、そういう人たちへ「今こうなっています」と情報を発信するといいのでは。コミックマーケットもおじいちゃんが子どもと孫を連れてくる時代。親が漫画世代なのでヘンな目で見られることもない。そういったところへアクセスができると、高岡書店に関わりがあった人たちは注目すると思う。三世代で来店してくれるようになるかもしれない。
  • ファッションにしても、昭和初期のものが新鮮に感じられて新たなブームになっている。我々の時代の漫画も新鮮かもしれない。
  • 神保町にはアニメはないが、アニメの原作がたくさんある。
    →原作展をやりたい。
    →音楽を題材にした漫画は力があるものが多い。『ブルーロック』、『のだめカンタービレ』、『ピアノの森』等、表現が『神の雫』のように細かくて美しい。音楽とアートを瞬間芸で見せるような人たちを集め、ライブ的なものを行なってもおもしろいのでは。酒馴染みもいいはず。
    →音楽・アート・酒はセットだと思う。12月に小唄のライブを行なう予定。
  • 十数年前に集英社が『神保町ONE PIECEカーニバル』を行なったときは、ものすごい人だった。お店をセレクトしてONE PIECEにちなんだサンドイッチ等を作り、全部回ってスタンプを集めるとオリジナルグッズがもらえるようなスタンプラリーを行なった。当時は個人的に「神保町を元気にする会」を手伝っていたが、集英社も子どもの集客を目的にしていたし、「神保町を元気にする会」も、子どもが来ないことに対する危機感を持っていた。
  • 今、書泉グランデが「アリエナイ本の街神保町2024」というスタンプラリーを行なっている。
  • 神保町ブックフェスティバルでも、共立女子大学で生まれた地域応援ゆるキャラ「じんぼうチョウ」ちゃんの着ぐるみで参加したところ、子どもたちがすごく喜んでくれ、神保町にこれほど子どもがいたのかと思った。一過性のイベントで集まるのがいいのか、環境的にそういう空気を作りたいのかは、また別ものという気がする。
    →単発ならいくらできると思うが、やはり続けていきたい。子どもの頃に来ていたから大人になっても来る、というものを作らないと人は続いていかない。子どもが来ると必ず親はついて来る。大人用と子ども用、両方良くなるものを行なう必要がある。
  • アニメ関係の施設で声優さんが絵本の読み聞かせをするところにパーカッションを入れたところ、すごくよかった。親が子どもを連れてくる、その逆もある。この空間だと音も響くし、白い壁を利用して映像を見せるのもいい。ショートフィルムを作っている人たちは音楽も大好き。そういうコミュニティーもいいのでは。子どもも結構映画を作っているので、そういうものもアリではないか。
  • 海外の美術館では、絵の前に子どもたちを集めて先生が説明していたりする。子どもは感受性が強い。直に本物を見ると感じるものも違ってくる。音もそう。本当の音を聴かせるとそれが当たり前に残る。同じレコードを聴いても全然違う。子どもたちへ「聴かせよう」ではなく、その場にいて「何この音?」と感じさせるかたちで音を使うといい。→食育ならぬ音育。
  • 神保町に映画祭といったものはあるのか。
    →日本の地方では、自分達で作って自分達で上映する映画祭を行なっている。地元の人たちの協力で15~20分くらいの映画を作る場合、子どもが結構混じったりしている。映画は基本的に表現。音楽も映像もあるため、そこで何かが生まれる可能性はある。駄作もあるが、地元で継続して行なうことが大事。
    →本の映画祭等はいいかもしれない。それならば、小学館と集英社をスポンサーに付けられる気がする。
    →大学も多く、学生がイベントを行なうと縁ができる。自分の映画を上映した場所には愛着も湧く。縁をどう作るかはすごく大事だと思う。
    →映像に携わっている学生は多い。大学生が監督をすると決めて、キャストはまちの人にする等。
    →共立女子大学にはデザイン科はあるが、映像系の学科はない。個人で撮っている学生はいる。
    →「知らない路地の映画祭」は、東京藝術大学千住キャンパスの先生が始めたものを博物館に住んでいる夫婦が引き継いで今もやっている。
    →映画祭か音楽祭は行ないたい。音楽祭に関しては、今、東京キララ社と話している。「さぼうる」でDJイベント等も行なっている。こういうものは、平均年齢にして35歳くらいがちょうどいい。20代がいて80代がいて年齢不詳みたいな人がいると、おもしろいものが生まれがち。60代が3人だと、みんな同じ感覚だから60歳の人が楽しめるものができる。そこに少しだけでもカチンとはまる20代の子のエッセンスを入れるためには、平均して30代くらいになるのがちょうどいい。
  • 書店の幹部は80歳超の方々が多いが、とても元気。60代だとまだ若手。
    →歯科医師の世界も、超縦社会。そういうところへ「え?」という年代の若者が入った方がいい。
  • 神保町芸術祭はおもしろいと思う。
    →個別に重ねていき、いずれ大きなものになっていくといい。
  • 学生が作ったものの展示は、どうしても学内で行なってしまう。本当は神保町で場所を借りて行ないたいが、予算の関係で難しい。外に展示すれば学生もそこへ行くし、街との繋がりもできるので、やっていかなければと思っている。
  • 肆YONの2階で、音楽・華・写真・陶芸の4つのグループ展を行なった。今年オープンしたお花屋さんだけ30代で、残りはみな20代。ニューヨーク等海外で学んできた22歳の陶芸家の作品はすごく良かった。若い力をサポートしていきたい。
  • ギャラリーの訪問者にはドリンクが安くなったりするのか。
    →学割は考えているが、そもそもギャラリーは無料のため、来訪者特典はない。1か月に「これだけは500円」というお酒を作ることもオープン前には考えていた。
  • 本人ではなく、次に来店した人の割引券等はあるか。
    →それだと、仕入れ値が高すぎて必ずマイナスになってしまう。
  • ギャラリーに来た人がバーへ来る割合はどのくらいか。
    →ギャラリーを目当てに来た方でついでにバーに寄る人は半分以下。
  • どのようにここを知って来るのか。外からは分かりにくい。
    →SNSで発信したり、チラシを貼ったり。金曜からは、淡路島在住の15歳のアーティストの展示を行なうので、お越しいただきたい。
  • 「ホンの映画祭」や新聞等、肆YONと一緒にやれることを考えていきたい。

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